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パンを一斤一ドルで売る。
八つ売れば合計で八ドルを手にする。
その八ドルを銀行に預金する。
銀行は靴屋一人に八ドルを貸し出す。
その後、もう一人の靴屋がやって来て、どうしても八ドルが必要だとして借り受けを銀行に申し込む。
銀行は八ドルを何もないところから作り出し、預金の裏付けもないまま、それをもう一人の靴屋に貸し出す。
この場合、経済は持続的には成長できない。
預金が十分にないので、生産プロセスのうち、完成できないものが出てくる。
確かに、ニ人の靴屋はそれぞれ必要な八ドルを手にしている。
しかし、靴屋たちがパンを買いにパン屋に行くと、パンの値段はすでに上昇している。
彼らは、借り受けた金が自分たちの生活を支えるに足る実物資源(パン)を買うのに十分な価値を持っていないことに気づく。
この話は、思慮深い経済学者が、貸出は実質預金の裏付けがなければならず、何もないところから紙幣を刷る形で、貸出のための通貨を作り出してはいけないと主張する際の根拠となる。
パン屋と靴屋の話では、銀行が必要だからと言ってドルを何もないところから刷り出す。
これは連邦準備制度が何もないところから通貨を作り出し、必要とする銀行に与えているのと同じ。
しかし、単純な事実として、経済にはパンが八斤しか存在しないのだ。
ベン・B率いる連邦準備制度は実物を何も持っていない。
パンすら持っていない。
そして彼らの金融の操作方法では実物資源を作り出すことはできない。
世界中の通貨操作の方法をもってしても、現実が課す制限に打ち勝つことはできない。
パン屋と靴屋の話では、パンの供給の増加がなくても、通貨供給量だけ増加されている。
靴屋が新しく作り出されたドルを使ってパンを買うと、その靴屋は、必然的に、他の経済活動から資源を奪っていると言える。
純粋に富を創造している人々が、貸出が続けられれば生き残ることができるバブル経済の活動に従事している企業家と、資源の取り合いをしなければならないと気づけば、富の創造活動自体が弱まってしまう。
パン屋と靴屋のこの話は、極端に単純化された、原始的な経済の話である。
しかしそれでも、裏付けのない通貨が供給されることで生産活動が持続できないようになることは明らかにされ経済学者を含む物品通貨を非難する人々の大部分が、物品貨幣についての論文など、何ひとつ読まずに、繰り返し主張される間違った言説を根拠にしている。
そんなものは、ほんの少しでも精査してみれば、その間違いが明らかになるものばかりだ。
彼らが物品貨幣について語る機会はほとんどないが、語らねばならないとき、評論家たちは、金本位制など財物本位制度は、古めかしく、時代遅れだと主張する。
彼らそれをまるでいっぱしの立派な主張であるかのように語る。
それに対してはいくつかの反論がなされてきた。
以下がそれである。
アメリカ合衆国のような近代的な経済においては、資本は集約化され巨大になり、生産プロセスは複雑化している。
そして、資源が間違って配分されていることが明らかになるまで時間がかかる。
二人の靴屋は、自分たち二人が靴屋を続けていても、経済は支えきれないことにすぐに気がつく。
それはつまり、どちらかの労働力が無駄に使われている、ということだ。
進んだ経済においては、問題が明らかになるまで時間がかかる。
しかし、原理原則はどの経済でも同じだ。
資源が投入されず、通貨だけが人為的に経済に注入されると、実質貯蓄では経済が支えきれなくなる。
「柔軟性」という言葉を、評論家たちは「政府が簡単に供給量を増やせる」という意味で使っている。
「柔軟性」という言葉は単純な言葉ではないにもかかわらず、頻繁に使用されているのだ。
「政府が供給量を増加できる」という意味では、金や銀には柔軟性がない。
何もないところから金や銀を作り出して、政府が優遇したいと思っている有権者たちに配ることはできない。
金や銀は無限に複製することはできない。
金や銀が複製できてしまえば、人々の貯蓄の価値をゼロにしてしまう。
しかし、複製ができないのは金や銀の欠点ではない。
これはむしろ長所である。
それらについて見ていこう。
金と銀は柔軟性が十分ではない。
もっと柔軟性に富んだ通貨が必要だ。
金と銀には「柔軟性」が欠けているという批判は、突き詰めれば、財物本位制の下では、企業に対する貸出量を増やせないので、経済成長率が低くなる、という素朴な主張となる。
財物本位制の下では、銀行の発行する紙幣はいつでも金と交換できるので、銀行は、企業に貸し付けるためだけに、裏付けのない紙幣を追加的に発行しない。
また、取り付け騒ぎを恐れて紙幣の発行はしにくくなる。
銀行はもっと「柔軟に」なる必要がある。
そのためには、何もないと貴金属は大きくてかさばり、使いにくい。
ころから通貨を作り出し、それを貸し出さねばならない。
それによって、銀行は豊かになる。
これらは本当に馬鹿げた話だ。
これまで金の使用に反対する主張に含まれる間違いを見てきた。
もう一度言うが、通貨が富ではないと理解することと、貸出量は裏付けのない紙幣の発行量ではなく、実質貯蓄の量によって制限されると理解するのは、金の使用に反対する人々たちからすれば間違いなのである。
金の裏付けもなく、何もないところから発行した紙幣を貸し出す銀行は、貸出量を増やすことができる「柔軟性」を持っていると言える。
しかし、銀行が何もないところから実物資源を作り出せる手品のような力がないなら、経済全体が完成まで支えることのできるプロジェクトの数を増やすことはできない。
人々が保有する紙幣の数を増やしても、財やサービスの供給量が増えなければ、それらを手に入れようと他の人々と争うことになる。
人々が手にしている紙切れ、つまり紙幣は富ではなく、また紙幣が富を作り出すこともできない。
簡単に言うと、紙切れ、つまり紙幣を刷って量を増やし、それを貸し付けても、富が簡単に増えることはない。
富は、貯蓄、投資、勤勉さ、企業家としての能力によって生み出されるものなのである。
貴金属が銀行間を行き来するということは、自由な通貨システムの下では、起こることだ。
銀行全体の金の保有量を明確にするのが大切なので、銀行間の金の行き来がはっきり分かるシステムを創設することが銀行の利益となる。
個人が金貨や銀貨を使うからと言って、それらと一緒に、デビットカード〔訳者註”商品購入時に口座からすぐにお金が引き落とされる、クレジットカードに似たカード〕を使うのを妨げるものはない。
いくつかの機関は、物品貨幣とデビットカードの両方を使えるようにするので、不便なことはない。
金本位制はコストがかかり過ぎる。
紙幣は製造するのにコストがかからない。
故M・Fは、「金本位制はコストがかかる」と主張した。
しかし晩年、その主張を撤回した。
ところが、「Fは金本位制に反対していたのだ」という説は、現在でも執勤に繰り返される。
コストの面から金本位制への反対が起こるのには二つの理由がある。
一つは、ヨスト」というものを狭く考えているからだ。
確かに、金を掘り出すのは、紙幣を印刷するよりも経費がかかる。
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